足るを知るを知る

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足るを知るを知る

出先で食べたいものが見つからないときは本当に困る。僕はベジタリアンではないけれど、最近は肉よりもあっさりしたものや魚を好むようになった。先日、初めて玄米麺のラーメンを食べた。あれは美味しかったし、血糖値も上がらないのか、午後から眠気も来なくてよかった。東京では海外からのベジタリアンの観光客が食べられる店が少ない。それはおそらく宗教的な背景も関係しているのだろう。彼らをアテンドする際、飲食店よりもコンビニの方が手軽に食べ物を見つけられる。サラダやナッツ、特に枝豆をよく買っているのを思い出して、僕も何も食べるものがない時はそうしている。

20代の頃は「足るを知る」と言われても、その感覚がよくわからなかった。あらゆる商品やサービスにはグレードがあり、どんどん品質の高いものを試したくなる。それはまさに欲だ。欲のままに何でも欲しがることは、心身を破滅に追い込むことがある。それは直接的なドラッグでなくとも、ドーパミンを出すようなもので、この世界は溢れているからだ。

「モノより経験が大事」とも言われるが、僕はモノも経験=体験になり得ると考えている。例えば、新しいマックブックを購入する時、ストアで手に入れて、開封し、セットアップして使う。その一連の流れが体験としてデザインされている。カメラのような道具にも同じことが言えるし、家も大きなモノだが、その中での暮らし、つまり体験を買っているようなものだ。

だから最初から「足るを知る」ことは難しい。経験できることは経験し尽くした方が良いと思う。その中で、品質や上質という意味を理解したり、自分の限界に当たったり、虚しさや嬉しさを感じたりするだろう。様々な経験を経て、自分の心を観察し、満足できるバランスを見つけることが大切だ。1から100というグレードがあったとして、100を経験したとしても、その上が無限に存在するような世界。切りが無いことを知るためには、ある程度その深淵に近づくことが求められる。

そして、その深淵を覗き込んだ後、初めて自分にとっての「足る」を見つけることができるのだろう。経験を積み重ね、その中で自分自身を見つめ直し、本当に必要なもの、本当に欲しいものを見極めることが大切だ。満足と欲望のバランスを見つける旅は終わりのないものかもしれないが、その過程こそが人生を豊かにするのだと思う。