ユーモアとヨーガ:真面目な社会での生き方

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ユーモアとヨーガ:真面目な社会での生き方

とてもじめじめして暑い日だった。どこへ行っても湿気がまとわりついてくる。冷房を効かせすぎると寒くなるし、いつも温度調整が難しい。グーグル広告のテストが行われていて、ついに自分このブログにもアンカー広告が表示されるようになってなかなかうざい。書いている本人がそう思うのだから、偶然訪れた初見の読者の方はもっとうざいと思っていることだろう。その点、申し訳なく思う。

最近はふざけられない社会になったとつくづく思う。何か言えば、重箱の隅をつつくように叩かれる。インターネットがこの日本において醸成したのは陰湿なイジメの技術だけだったのではないか、という結論に至り毎度暗い気分になる。無名の人でも何かを発言すれば叩かれ、著名人はメディアに家まで追いかけられ写真を撮られる。自分がそのような人を攻撃する武器になり得る写真を扱っていることに、また長年それで仕事をしてきたことに、何か自責の念のようなものを感じる。ファインダーを覗く行為は、武器に備えられたスコープを覗く行為に、身体的には近しい所作がある。

ふざけられなくなったのは社会のせいでもあるし、自分の老化のせいでもあるかもしれない。今でも一緒にふざけられる友人は貴重だ。馬鹿なことを言い合っていたあいつも、結婚して父親になった。みんな真面目になって、自分だけがこの世界にとりの残されたような気がする。B’zか何かの歌詞のようだ。一晩中ギターと女の話しで盛り上がっていたあいつも、そつなく大手に就職決まり、ためらいがちの出世街道。

イエス。この世の個人的な悲劇の多くは喜劇に転換し得るし、特に文学はその役割を担ってきた。いつでもユーモアをもって、些細なことも笑い飛ばして生きられたら、どれだけ楽だろう。社会が真面目すぎるなら、自分の周りの小さな範囲からでもふざけられる世界を作っていきたい。そういう宣言って滅多にしないけど、ひとりでヨーガに取り組みすぎると笑うことさえも忘れてしまいそうだから。ここで言っておく。

YouTubeよりもふざけられる雰囲気があるから、音声だけのコンテンツというのはなんかいいなと思う。それも顔芸みたいなものができないから、ごまかし効かない喋りの技術が必要になる。YouTubeからPodcastに入ってくれた方が大半だと思うけど、もしこのサイトきっかけで聞いてくれた方がいたらフォローもお願いします。ミニマリズムやヨーガ、生活の考え、雑談を配信しています。

ブログでは言えない話し、Tokimaru Tanakaのニュースレター。こちらは週に一回配信しています。→ https://tokimarutanaka.substack.com/