過去に何度かパッキング動画を撮ってきた。今回も撮ってみる。出発の10分前にiPhoneのカメラを回し始める。やばい、本当に時間がない。
まずは持って行くものを小さな部屋から手当たり次第にかき集める。バックパックの中にガジェット類の入ったポーチが既にある。バスルームからトイレタリーセット、ヒアネスのドライウールTのシャツを1枚、パタゴニアのバギーズショーツを1本、それから山と道のオールウェザージャケット。今回は現地で農業を行うため、そして雨が降りそうな予報だったので雨具として持って行く。季節的には半袖Tシャツだけで事足りる。
いつもお世話になっているゲストハウスにタオルはあるし、温泉でも借りられる。ティシューは持って行く。あとは今読んでいる本。千葉雅也の「センスの哲学」。これは今回の旅の読書会の課題本にもなっている。というか課題本になったからとうとう読んだ。読みたかったけど他に読むべきものがたくさんあって読めていなかった本。センスについて。センスとは何か。何か目指すものにたどり着けない時に、それはオリジナルの劣化版とされ下手となる。ならば目指すことを止めて、ズラせばいい。芸術は模倣によってしか成り立たない。ヘタウマでいること。アートは意味よりもリズムで鑑賞できる。リズムはなにもラウシェンバーグの絵画ではなく餃子にも存在する。餃子も芸術作品のようにリズムで味わえる。となればその逆もしかりで、ラウシェンバーグの絵画も餃子のように味わうことができる。絵画を鑑賞しながらビールを飲むことは、餃子つまみながら瓶ビールを飲んでいるのと変わらない。のか?
最近のパッキングスタイルは、バックパックをひとつの袋に見立てて、衣類をバッグの下部にクッション的にそのまま雑に詰め込んでしまうこと。これは旅慣れた人のスーツケースのパッキングによく使われる手法だ。衣類を分けるポーチのようなものがあると、バックパックの中に偏りができる。衣類をそのまま詰めることで、バッグの形に沿って無駄なくパッキングできると同時に、バランスが良くなり楽に背負えて、かつガジェットや電子機器のクッションにもなる。一石三鳥。石の上にも三年。
この方法を行うには、まず持参する衣類の数を制限する必要がある。様々な服があると、ジャンルごとに分けたくなってしまうから。あとはシワにならない素材である必要もある。クッションのために雑に詰めるので、皺になりやすい素材は厳しい。また、バックパック自体が防水機能を備えていることも大切で、防水機能が無いと雨が降った時に衣類が濡れる可能性が高まる。バッグの中に複数のインナーバッグを入れることにより、ぐちゃぐちゃにならずに探す手間が省けるというのは一理ある。しかし僕は、持ち物を少なくすることにより、インナーバッグのファスナーを開ける手間を省略し、モノへのアクセスを快適にするほうを選ぶ。雑に入れておいて、さっと取り出して、さっと使って、不要になったらまたざっくり仕舞う。一つのバックパックを餃子に見立てて、ジューシーな肉があり、野菜のざくざくした歯ごたえがあり、防水のパリッとした外皮があり、それはカラフルなリズムを持って芸術的鑑賞性を帯びる。のか?
バックパックが餃子だとしたら、それもまたラウシェンバーグの絵画のように、鑑賞し得るということだ。
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